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Xリーガー vs 学生トップ選手対談「時代を超えて受け継がれる、オレ達のISM」【富士ゼロックスJ-Stars×関西大学カイザース編】(1/3)

’15.12.07

 

僕らは努力を続ける。

関学、立命が練習している日も、休んでいる日も。

 

Xリーグのトップ選手が自らのルーツである大学に帰り、現役選手と対談を行うこの企画。第6弾は関西学生リーグの強豪・関西大学カイザースの岸村恭吾選手と、富士ゼロックスJ-STARSの宮城雄作選手のQB対談。チームのオフェンスをオーガナイズする彼らが、チームに流れるISMを世代を超えて語り合った。

 

 

【プロフィール】

宮城雄作

Yusaku Miyagii

富士ゼロックスJ-STARS QB1

大産大高でアメリカンフットボールを始め、関西大進学後、3年次よりエースQBとして活躍。神戸の会社に勤務しながら、富士ゼロックスJスターズのエースQBを務める。

 

岸村恭吾

Kyogo Kishimura

関西大学カイザース QB14

大阪桐蔭中2年でフラッグフットボールを始め、中3でチェスナットリーグのベンガルズで活躍。大産大高でQBとして活躍し、高3でクリスマスボウル優勝。関西大進学後は同学年の石内卓也選手とともにツインQBの一人として活躍

 

 

 

「おい捕れよ!そうQBに言われたら、どう感じるんでしょうね(笑)」(岸村)

 

宮城:岸村君がアメフトを始めたのはいつ?

 

岸村:中学時代です。中2からフラッグフットボールをしていて、中3になってクラブチームのベンガルズに入りました。

 

宮城:ベンガルズはチェスナットリーグの名門クラブチームだよね。

 

岸村:でも中3から入ったので、1年しかやっていないんですよ。

 

宮城:なぜベンガルズに入ったの?

 

岸村:中学の体育でボールを投げる機会があって、たまたま上手くて誘われたんです。入ってみたら面白くて、大産大高に入ってからもやろうと思いました。宮城さんはいつからアメフトを始めたんですか?

 

宮城:僕は高校から。岸村君は同じ大産大高−関大出身やねんな。

 

岸村:そうです。大先輩ですね。

 

宮城:じゃあ、アメフトをすることを前提に高校を選んだと。

 

岸村:そうですね。そのまま今まで続けてきました。

 

宮城:最初からQBやったん?

 

岸村:高校からはずっとQBです。中学時代はディフェンスだったのですが、投げる方が面白かったので。WRとか、他のポジションもやってみたい気持ちもありましたけどね。宮城さんはどうしてアメフトを始めようと思ったのですか?

 

宮城:僕は中学まで野球をやっていたんだけど「高校に入ったら野球はやらんとこ。違うスポーツをやろう」と思っていた。それで、当時母親が勤めていた職場に、大産大高出身でファイニーズのディフェンスコーチだった武田さんという方のお母さんがいらして、「うちの息子は野球をやっているんだけど、高校では野球をやらない」という話をしたら、アメフトの話題になったらしくてね。じゃあ、ということで、大産大高の練習を見に行かせてもらったら、面白そうやなと。その時は、他のどんな高校にアメフト部があって、どこが強いかなんて、ほとんど知らなかった(笑)。

 

岸村:QBをやろうと思ったのはなぜですか?

 

宮城:最初の練習で山嵜(隆夫)先生から「投げる方と捕る方、どっちがいい?」と聞かれたんだ。「野球をやってたから、投げる方です」と答えたら、QBになっていた(笑)。

 

岸村:それ以来ずっとQBですか。

 

宮城:そう。でもレシーバーにも興味があって、関大に入った時「WRやりたいです」と言ったんよ。でも僕らの代のキャプテンで永川(勝也・現リクシル)という奴がいて、高校時代にQBとWRをやっていたんだけど、大学ではWRをやることになった。それで「QBおらへんやん」ということで僕がQBに回った。でも今も、他のポジションもやりたいと思うわ。やるならやっぱりWRやね。QBが嫌というわけでもないんやけど、他の視点でアメフトという競技を見てみたい気持ちがある。

 

岸村:いつも言っている「捕れるやろこれ!」「おい捕れよ!」って言葉を逆に言われると、どう感じるんでしょう(笑)。

 

宮城:どうやろ(笑)。腹が立つかもしれないね。

 

岸村:DBやLBをやってみたい気持ちもありませんか?

 

宮城:あるねえ。DBもやってみたい。

 

岸村:僕もDBをやってみたいと思うんです。QBの考えがわかるから。

 

宮城:ところで高校時代はどうやった? 山嵜先生、厳しかったんちゃう?

 

岸村:はい(笑)。でも、多くのことを学びました。特にメンタリティですね。山嵜先生は担任でもあったのですが、いつもおっしゃっていたのが「神様は見ている」という言葉でした。私生活の些細なことが、フットボールに関係してくる。だから、ゴミが落ちていたら拾う。お年寄りには席を譲る。その些細な心がけが、大事な試合のプレーにつながると。だから、常に私生活にも気を使いながらやっていました。

 

宮城:山嵜先生は絶対的な存在感のある人。先生が来たら背筋が勝手に伸びて、練習に気持ちが入る。僕も高校時代は、めちゃくちゃ怒られたよ。

 

宮城:岸村君の高校時代の戦績は?

 

岸村:高3でクリスマスボウルに優勝できました。でも、早大学院と10対10の同点優勝。一応、目指していた日本一にはなれたのですが、どうも変な気持ちでした。

 

宮城:僕の時は、関西大会で関学にボロ負けして終わった。それが、大学でも頑張ろうと思った理由の一つでもあるね。

 

 

写真=樋口涼 構成・文=前田成彦(Office221)

 

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