“BURST”。
これが2002年に新しいスタートを切ったシーガルズのスローガンだ。2002年度を一年かけて「爆発」しようという意図が込められている。
シーガルズがチームを作っていく上で大きく変化した点は、選手とスタッフのコミュニケーションにある。
2001年まではコーチが方針を決め、ユニットリーダーがそれを各選手に伝えるといういわば「上意下達」だったのを、2002年からはユニットリーダーを「サポートプレーヤー」と名称を改め、コーチと選手が話し合いながらチームをビルドアップしてきたのだ。
それでも春季は、これまでと違うチーム作りに戸惑いの連続だった。練習の目標すらも選手に考えさせてきた。実際、リクルートがメインスポンサーでなくなったことでチームの予算が減り、コーチ陣が昨年までのように潤沢に時間を使えなくなったことに対する窮余の策が、まさしく良い方向に動いていた。
選手に責任を持たせることで、選手の中でも試合に対する心構えが変わってきたのである。そしてその手応えを感じたのが、この春のパールボウルトーナメントだった。
決勝のパールボウルでは強豪・鹿島相手にタイブレークの末、惜しくも敗れたが、選手とコーチが一体となったチーム作りに自信を深めたのは事実であった。
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